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No.106(後篇)

娼館での最初の1週間。これは羞恥心との戦いだった。胸元を強調し、腕を露出し、スカート丈も短い衣装。一見、綺羅に見える安い薄物を幾重にも重ねるが、透けて見えることにあまり変わりはない。客の視線は刺すようでいて、舐めまわすようで、直接触られているも同然だった。

 娼館での最初の1週間。

 これは羞恥心との戦いだった。

 胸元を強調し、腕を露出し、スカート丈も短い衣装。一見、綺羅に見える安い薄物を幾重にも重ねるが、透けて見えることにあまり変わりはない。

 客の視線は刺すようでいて、舐めまわすようで、直接触られているも同然だった。

 だが、店の女の子たちはみんな同じような格好をしているが、特に恥ずかしそうなそぶりも見せず、人によっては挑発するようにテーブルの合間を給仕して回る。

 ジュリエッタには最早想像がつかないを通りこして、唖然と眺めてしまった。

「ほら、フロアでボケッとしないでよ!」

 そういって突き飛ばされて、初めて我に返った。

 きつい瞳の、年の割に妖艶な少女に睨みつけられ、気圧されてしまう。

「まったく、さっきからあっちにふらふら、こっちにふらふら。それにスカートの裾ばっか気にして、もじもじして。見ていてこっちがイライラするんだよ」

「す、すみません」

 一気にまくしたてられ、ジュリエッタが慌てて謝ると、鼻を鳴らしてそっぽを向いた。それを見ていた酔客がはやし立てる。

「おいおい、ミィ。なんだよ、新人いびりかい?」

「もじもじしてんのがかわいいんだから、そのまんま放っておいてやれよ」

 どっと笑いが起こるのにミィがそちらを睨みつけ、

「うるさい、この酔っ払い!どうせ安酒しか飲まない癖に!とっととつぶれちまえ」と威勢よく怒鳴る。

 それにもまた歓声が沸いた。

 彼女はテッドの妹だと聞いていた。ジュリエッタも人のことはいないが、彼女も相当気が強い。

 だが、面倒見がいいことも事実のようだ。

「おい、姐ちゃん。エールくれ」

「はい、ただいま」

 酒つぼを持って、呼ばれたテーブルに行くと、寄って赤く濁った眼で見上げられた。

「へえ、姐ちゃん綺麗だなあ。新入りなんだっけ?」

「は、はい」

 客の杯にこぼさないように酒を継ぎ足していると、不意に太もものあたりに何かが触れた。

 その感触に、びくりと身体を震わせる。危うく酒をこぼしそうになる。その間も、太ももを滑っていた感触は徐々に上にあがって行く。

「アンタ、給仕だけなの?」

「は…ぃえ」

 尻を直接撫でられ、ジュリエッタは身体が震える。店に入ってから身体をあちこち触られることはあったが、こんなにあからさまに触られたのは初めてだ。

 逆らっちゃいけない。嫌な顔をしてはいけない。

 最初に教わったことを頭の中で繰り返す。

「そう怖がらなくても、ひどいことしねえよ。二階に行こうか?」

 客が立ち上がる。尻を撫でていた手があがり、腰を抱くようにされてジュリエッタは身体を固くした。

 ジュリエッタにとっての、初めての客だった。

 二階に上がる階段の踊り場でミィが壁にもたれて、腕を組んでいた。

「お客さん」

「んん?」

「最初に言っとくけど、その子は他の新人と違って高いよ」

「へえ、そうなのかい?」

「実は、さるやんごとなき血筋の御方ってやつでね。他の娘の5割増し」

 そういうと男は目を丸くした。そう、これもあってジュリエッタには今まで客がつかなかったのだ。いくら綺麗でも5割増しでは遠慮すると、大抵の客は身を引いた。

「払えないようなら、ここで回れ右して、他の娘ともう一回上がってきておくれ」

「眉唾だなあ。だが、まあいいや。金はある。ちょうど給料出たところだ。…ほらよ」

 そういって、懐から金貨をとりだす。

 確認したミィは口の端をつりあげた。

「どうぞごゆっくり。部屋は一番奥使っておくれ」

 そういって、身体を脇によけた。

 男に肩を抱かれて歩きだすと、軽く肩を叩かれた。

「しっかり稼ぎな」

 低く呟かれた声に、ジュリエッタはますます身を固くした。

 部屋に入ると、男は背後から抱きついて、ジュリエッタの胸元に手を入れた。

 緊張する。

 無論、客を獲るのが初めてであるということも理由だが、それ以上に、出産後初めて自分の身体を他人にみられるのだと思うと、怖気づいた。

 穢れを知らなかった頃のジュリエッタは、乳房は淡い桜色をしていた。乳首は小指の先ほどもなく、膨らみも自分の手の中におさまる程度だった。

それが出産してからというもの、乳房はいかにも処女と言う綺麗な桜色がピンクベージュに変わっており、大きさも手の中であまるほどになった。乳首は普段は目立つこともないが、勃起すると指先ほどの大きさにまでなり、そうすると乳首自体がむずがゆいように疼きがあった。

以前はそんなことはなかったのに、布に擦れただけでピンとはりつめ、もどかしさを感じ、ついには痛みさえ覚えて、自分で弄らずにはいられなくなる。

 たまらずに触れると母乳が溢れた。

出産後の女性という意味では、当たり前のことなのだが、押さえきれない羞恥に身体が熱くなった。

『母乳が溢れるのを我慢すると、病気になるからね。アンタは母乳の出がいいから、乳腺炎になりたくなきゃ、自分で絞り出すくらいでちょうどいいね』

 ローリエにそう言われて、疼くような感覚に襲われると、やむなくこっそり自分で絞り出していた。そんなとき、いつも羞恥と惨めさと、子供にやれればいいのにと、切なさで悲しくなる。

それに変化が現れていたのは、胸だけではない。真っ白で滑らかなラインを描いていた腹部に、くっきりと薄いピンク色の線が残っている。

 出産直前には、腹や乳房のあたりに青紫色に不気味に浮かび上がっていた妊娠線は、今ではかなり薄くなってきたといはいえ、わかる者にはわかるだろう。

 何も知らない、誰も触れることのなかった、白雪の様な肌、乙女そのものという控えめな胸に比べて、ジュリエッタにしてみれば不気味なほどに変化してしまった身体を、人目に晒すのだ。

 店の中では薄絹一枚と言えど、隠す物があったと今では思える。

 一瞬戸惑って、思わず客の腕に手を触れたが、拒むことは許されなかった。

乱暴に揉みしだかれて、ジュリエッタは目を閉じる。

男の手でもなお余るほどのボリュームに張りつめていた胸は、揉まれるたびにいやらしく形を変え、乳首がぷっくりと勃ちあがる。

「…あ…」

 声をあげてしまったのは、母乳が溢れたのがわかったからだ。

「ん?」

 男もジュリエッタの背後から覗き込む。

「アンタ、ガキ産んだばっかりか?」

「すみません、ごめんなさ…っ」

 羞恥のあまりジュリエッタが身を堅くすると、背後で喉を鳴らす音が聞こえた。

「いや、いいよ。それよりもさ」

 そういってジュリエッタの身体を抱えて、ベッドに押し倒した。

「乳が張ってしょうがねえだろ。吸ってやるよ」

「え?…あ、ぁあ」

 薄物をはだけられ、豊かな乳房に吸いつかれ思わず声をあげる。

 ちゅばちゅばと音を立てて吸いつかれて、身をよじる。

「あ、や…ん、ダメ…そんな」

 やだ。ルシウスにおっぱいをあげている時は、なにも感じないのに。

 いまはローリエの元にいる生まれたばかりの赤ん坊。ルシウスと名付けた子供にはたまに母乳を与えていたが、こんな感覚はなかった。絞りあげられるように揉まれ、きつく吸われると、それだけで足の付け根が熱くなってくる。

「や、そんなに強く吸わないで、あ、あ」

「おっぱいだけでイッちまいそうだな、ええ?」

 言われて頬が熱くなる。胸を唾液と母乳でべたべたにされながら、下肢を探られジュリエッタは咄嗟に足に力を入れる。だが男の手はジュリエッタの秘所にもぐりこんできた。

 びくりと身体が震える。

「…ぇ?」

 以前は感じたことのない違和感に、思わずそこに視線がいってしまう。

 ジュリエッタの秘裂がぱっくりと開き、そこから小陰唇がのぞいている。

 赤黒く色素が沈着したその肉の襞が、充血してはみ出しているのに、ジュリエッタは目を見開いた。

 いままでその存在を意識したことのなかった器官は、肥大し脈打って、触れられると甘いしびれを生み出す。

怖くなって思わず腰を引こうとしたが、男は許さなかった。

 上下に指を滑らせるように撫でられると、まるで男が欲しくてしょうがないように、ますますそこがだらしなく開かれていく。

「ぁ…そ…な、…だめ」

 男が指をすべらせるぐちゅぐちゅという音と、愛液が手を伝い滴る音が聞こえる。

「いやらしいヒダだなあ、オレの指に絡みついてくる」

 含み笑う声が耳朶に響いて、ジュリエッタは悲鳴をあげる。

「や…だめ…指で挟まないでぇ…!」

 左右の襞を、それぞれ指にはさんで弄ばれて、ジュリエッタは腰がしびれるほどに感じた。自分の淫部がそんな風にグロテスクに変化すること自体がショックだったが、それ以上に感じてしまう。

 誰とも知れない他人の指で、こんなに感じるなんて。

 気持ちは嫌悪しているのに、身体は快楽に引きずられて最早止まらなくなっている。

 襞を弄んでいた指がやがて奥深くを探り始め、2本入った指の腹が交互に中をひっかくように動くと、たまらずにジュリエッタは声を上げた。

 吐息が乱れ、息苦しさに口を閉じることもできず、涎が顎を伝ったが、ぬぐう余裕もない。男も余裕のない荒い息使いで囁く。

「もう入れてもよさそうだな」

 そういって、ジュリエッタの足を割り開いた。

「きゃ…ぁっ」

 男の猛り狂ったものが、押し当てられる。

 ジュリエッタの肉襞に擦りつけられるようにされて、ジュリエッタは小さく喘いた。擦りつけられると、露出した襞が直接刺激され、陰茎が上下するたびにクリトリスにも当たり、たまらなく気持ちがいい。

「アンタの母乳でこんなに元気になっちまったよ。…ぅあ、襞がからみついてくる」

「あ、あ、擦りつけたら溢れちゃう…」

 ジュリエッタは無意識に腰を揺らした。

「入れて欲しいか?」

 ジュリエッタは屈辱と羞恥で言葉に詰まったが、店の女たちに倣った通りの言葉を無理やり吐き出した。

「…はい、欲しいです。ください」

 シーツに顔を押し付けて、苦しげに言うと、乱暴に突きいれられた。

「きゃ…ぁあん」

 悲鳴のような声が漏れ、びくりと身体が震える。

 男は乱暴にジュリエッタの中をかき回し、深くえぐりこむ。

「あ、あ、いや、もっとゆっくり…お願い…っ」

「すげえ…膣内、うねる…っ」

 呻くように男は呟き、ジュリエッタの訴えをまるで聞く耳を持たずに腰を振り続けた。

 その後、男は射精したが、一度では足りなかったのか、背後からジュリエッタを抱え貫きながら、胸を揉みしだき、もう一度果てた。

 久しぶりのセックスに身体がついていかず、随分と強引にされて、後半は意識が朦朧として終わったことも半ば夢心地で感じていた。

 

 

 最初の客がつくと、不思議と次々と客が続くようになった。

 あの男が吹聴したものか、ジュリエッタは評判が良く、ジュリエッタ目当てでくる客も増えた。

 最初は、羞恥や背徳感、それに屈辱的な気持ちにもなったが、徐々に気にならなくなった。それは自分がすりきれてしまったのか、それとも心が強くなったのか、よくわからない。

 ただ、汚れたとは思わなかった。

 初めからそう考えなかったと言えば嘘になるが、それでも二カ月も働いているうちに、ジュリエッタはいろんなものを見て、知ったせいだ。

 娼婦とは恥知らずな汚らわしい職業だと、正直ジュリエッタは思っていた。

 だが、彼女たちは知れば知るほど、明るくたくましく強かで、そして優しかった。生きるために他の方法がない少女はもちろんのこと、家族を食べさせるために働く少女がほとんどだった。

「本当は他のことをして働ければ一番いいけど、でも稼げる仕事はこれしかない」

 家が破産してスラムに流れ着いた少女はそう呟いた。

「学校には貧乏でいけなかったけど、これならバカでもいいって」

 病気で寝たきりの親を持つ少女はそういって笑った。

「ここは殴られないからいい。言うこと聞いてれば優しくしてくれるし、ご飯が食べられる上に、お金ももらえる」

 テッドが潰した対抗組織の経営していた店で働いていた少女は、おそらく一生消えないであろうという引きつれた傷跡を抱え、そう幸せそうに笑った。

 死なずとも、地獄はそこにある。

 寝るところ、食べることに困ったことはない。いつも綺麗な衣装を着て、家族や周囲の人に愛されてきた。それに恋をすることもできた。生活の為、身体を売る少女たちには、これはお伽噺のように夢の様なことなのだ。

 ジュリエッタは、自分が不幸だと思っていたことが恥ずかしくなった。

 確かに自分の身に降りかかる呪いは、忌まわしい。だがそれよりももっと過酷な過去と言う呪いに縛り付けられている少女たちがここにいる。

 つい数カ月前まで、白薔薇の騎士といって得意顔になっていた自分を思い出す。

 悪い貴族がいなくなれば、それでいいと思っていた。本当に国を立てなおすなら、そんなに単純でも簡単でもない。国の在り方を考え直さなくてはならなかったのに。

 ただ自分が英雄になることが楽しくて、浮かれていたのだ。

 娼館の少女たちと話すほど、そう思った。

 そうして、ジュリエッタは娼館以外でも、下町の事情を知れば知るほど、深く興味を持つようになった。

 自然に、宮廷にある役職ごとの会議にも参加をするようになった。

 別に発言することはない。

 財政や国土の整備、また法律や教育に関して専門の知識を持つわけではない。だからこそ会議の内容を黙って聞いて、わからなくても勉強したいと思った。

 白薔薇の騎士として、無法な行いを正すことは今までにしてきたが、それは根本的な解決にはならない。知識が深まるにつれて、ジュリエッタは今さらながら自分の愚かさを恥ずかしく思った。

 

 

 その日も、ジュリエッタは宮廷で行われる集まりに参加する予定だった。

 国の法に関する有識者たちのものだったが、生憎とそれは晩餐も兼ねており、ジュリエッタは一度、仕事をしてから戻ってくるという強行軍になった。

「こんな日くらい、お休みされては…」

 マールの言葉に、ジュリエッタは首を横に振った。

 店の主人やテッドに頼めば許されるだろうが、他の女の子たちは、そんな勝手なことは許されていない。

 彼女たちと等しくなければ、意味はない。

 ジュリエッタはそう思って、夕方まで働き慌てて宮廷に戻ってきた。

「お早く!もう皆集まっていいます!…御髪を直しますから、座ってください」

「そんな暇ないわ」

「整えるだけです!」

 マールに強く言われて、仕方なく座る。着替えだけは馬車の中で済ませた。

 髪を直されながら、ジュリエッタは下肢に違和感を覚えた。

「…っ…」

「どうされました?」

「なんでもないわ」

 答えたが、ジュリエッタは内心、焦っていた。

 先ほどまで相手をしていた客の精液が、中から溢れだしてきたのだ。

 慌てていたので、よく洗ってこなかったのがまずかった。でも今さら処理することも、また着替えることもできない。

 大丈夫。

ドレスの為にペチコートをつけているのが幸いした。しみることはないはずだ。

 そう思って、ジュリエッタは何食わぬ顔をして晩餐の席についた。

 博士や学者、また法に携わっている役人を交えて話しながら、ジュリエッタは上の空だった。

 中からどんどん溢れている。

 内またを伝うぬるりとした感覚に、ジュリエッタは震えがきた。

 背中に嫌な汗が流れる。

もしドレスに染みなかったとしても、あの独特の臭気がしたりしないだろうか。

 そんなことばかりが気になって、全然会話に集中できない。

 まったく、これじゃせっかく来たのに何の意味もない。

 歯がゆく思いながらも、ジュリエッタは落ち着かなかった。

「どうされました、姫?」

 向かいに座っていた学者の一人が、そわそわしているジュリエッタに気がついたのか、声をかけてきた。

 ぎくっとしたが、表には出さず微笑む。

「ご気分がすぐれませんか?」

「いえ、やはり今日は難しいお話で、…私の不勉強を思い知らされていたところです」

「なんの、先日はジュベール伯爵の論文を読破されたと聞きましたぞ」

「目を通したにすぎませんわ、お恥ずかしい」

 言いながら、ジュリエッタは鼓動が速くなった。

 まずい。

 胸が張ってきていると思ってはいたが、この上、母乳まで…。

 どうしよう。

 今日、お客の相手をした時に、胸を吸われた時に、母乳をいっぱいにだされたので、大丈夫だと思ったのだが、甘かった。

 これは下肢と違って、染みればすぐわかるだろう。

 そっと自分の胸元を見ると、すでに服が濡れ、母乳でできた染みが浮かびあがろうとしている。

 内々の集まりとはいえ、二十人以上の人間の前でそんな醜態をさらしたら言い訳がつかない。

 …もうだめ…っ。

 羞恥と焦りできつく眼をつぶった瞬間、

「きゃあ!」という声と共にジュリエッタの上に、ワインが降り注いだ。

「…は?」

「も、申し訳ございません!」

 見ると、給仕をしていたメイドが床に倒れて、ワインのデキャンタが転がっている。

「まあ、大変!ジュリエッタ様こちらに!」

 周囲の人間が何かを言う前に、あまりにもわざとらしいほどの大声でマールが言うと、ジュリエッタをさっさと立たせた。

「早くお召し替えをしなければ。さ、こちらに。お前はそこを片づけておきなさい」

 呆然とする人々を尻目に、さっさとジュリエッタの手をとってマールが部屋を出る。

 廊下をしばらく歩いてから、声をひそめる。

「助かったわ」

「後ろにお控えしておりまして、どうも様子がおかしい気がいたしましたので。…ご無礼いたしました」

「いいの。でも、あのメイドには」

「もちろん罰は与えません。私がスカートの裾を踏んだせいですから」

 しれっというのに、ジュリエッタは目を丸くしてから噴き出した。

「ですが、今後は注意が必要ですね」

「…そうね」

 ジュリエッタは、ため息とともに答えた。

 大きな秘密を抱えている今、確かに無理は禁物だった。

「しばらくは、こういう場に出るのは控えた方がよさそうね」

「姫様のお気持ちはお察ししますが、それがようございましょう」

 マールも静かに頷いた。

 

 

 三月目が近づいてくると、ジュリエッタの様子は最初の妊娠の時と違い、一変していた。

 すでに臨月を迎え腹はせり出し、乳房は肥大化し人の頭ほど成長している。乳頭全体が黒く変色し人の親指ほどもあり、乳輪は掌ほどに広がっていた。

 前回妊娠した時はとは違い、ジュリエッタは明らかに妊婦だとわかる様相に変化していた。

 この頃には、入店当初風当たりの強かったミィを筆頭にした女たち、それにローリエもジュリエッタの身体を気遣い、休むように勧めたが、ジュリエッタは早くお金を貯めたいからと店に出た。

 それに、一部の客の間からもまだ幼さの残りつつも、上品なジュリエッタには不釣り合いな乳房だが、むしろその気品と相反する猥褻さあり、欲望をかきたてると評判だった。さらに妊婦を自由にできる店など他になく、噂を聞いて物珍しさにジュリエッタを買いに来る客もいた。

 店としても、評判がいい娘をひっこめるわけにはいかない。

 ジュリエッタの意向もあり、娼婦としての仕事を続けさせていたが、ただその腹ではいささかフロアの中を歩き回る給仕の仕事は難しく、空いている時間のみフロアに出ることになった。

 そんな折、一人の客が店に入ってジュリエッタを見るなり、驚いて声を上げた。

「あれ、アンタ?」

「え?」

「そんな腹して…、っていうか、妊婦だったのかい?」

 まじまじとジュリエッタを見る男をみて、思い出した。

 ジュリエッタの初めての客だった男だ。

「あんときゃ、そんなに腹目立ってなかったよな?」

「えぇ、まあ…」

 まさか呪術で臨月が早いとはいうわけにもいかない。

「まさかその腹で、まだウリやってんのかい?」

 感心したように言われてジュリエッタは曖昧に頷く。

 すると、興味を引かれたように男はジュリエッタを、足の先から頭のてっぺんまで舐めるように見た。

「よし、それじゃ、今日はオレがアンタを買うよ?5割増しだっけ?」

 男が言うのに、

「ちょいと、その子は、いま人気者なんだからね、2倍いただくよ!」という、ミィの威勢のいい声が聞こえた。

 男は肩をすくめたが、それでも止めておくとは言わなかった。

 

 

 部屋に入るとジュリエッタはローションを出した。

「なんだい、それ?」

「あ、あの…もう、このお腹なので、普通には無理なので、お尻を…」

「ああ」

 客は得心言ったように、尻を撫でた。

「こっちを使ってわけか」

 アナルを指でくすぐられ、ジュリエッタはびくりと身体を震わせる。

「あ…あ、あと、もう仰向けは無理なので…ぇ、ぁあ、待ってください。慣らします、からぁ…あ」

「いいよ、オレがやってやるよ」

 ジュリエッタの手からローションをとると、壁に両手をついて立たせ、中身を手にいっぱい出して塗りたくる。

「ひゃあ…あん、ん、冷たぁい…」

「すぐに温かくなるよ」

 男が言いながら、アナルを探るのに、ジュリエッタは伏し目がちに呟いた。

「ぁ…あの」

「ん?」

「身体…その…」

 ジュリエッタは思わず聞こうとして躊躇したが、客の動きが止まってしまったので、思い切って聞いてみた。

「私の身体、気持ち悪くないですか?」

「あぁ?」

 出産直後といはいえ、あの時はまだ女性として身体の線が崩れていたわけではない。いまジュリエッタを買う客はともかく、この男は妊婦のジュリエッタを買いに来たわけではないのだ。

 腹がせり出し、胸の形もかなり重量が増し、垂れているようにも見える。妊娠線も再び浮かび上がってきて、元から色白なせいか、それはやけに目立った。

気まぐれで買ってみる気にはなったが萎えたとしても、おかしくない。

「一応、…勃たなかった時でも、お金をお返しすることはできないので…そうしたら口でご奉仕するとか、そういうサービスもしていますが」

 ジュリエッタが途切れ途切れに言うと、男は妙に顔を歪め、やがて苦笑いした。

「ここで萎えるくらいなら、2倍も金払ったりしねえよ」

「それなら、よかったです…、ひぅ…、あ、あん」

 そう言いながら、ジュリエッタは本当にホッとしていた。腹が大きくなる前の自分を知っている男が、もし今の自分の姿を見て萎えたと言ったら、少なからず傷ついていただろう。

 自分の姿を美しいとは思わない。だが、以前と同様に抱けると言われたことが、バカみたいに嬉しかった。

 たとえそれが行きずりの客だったとしても、だ。

「それにしても、アンタ、ローション塗る前から濡れていたみたいだな。ないだい、こりゃ前の客のヤツか?」

「あ、ぃや、そんなこと…ちゃんと、洗っています…」

 ジュリエッタが恥ずかしそうに小さな声で答えると、かき回す指が増えて背中をそりかえらせる。

「きゃあん…やぁ」

「こっちでもちゃんと、気持ちいいみたいだな」

 声と同時に指の動きが激しさを増す。

「いや、ダメ、指、すごいの…っ」

 無意識に腰を振る動きに、ジュリエッタの胸がぶるんと大きく震える。その先から白い蜜が染み出している。

 揺れ動くたびに、母乳が飛び散り壁や床を汚す。

「あ、あ、ダメ。イイ…っ」

 ジュリエッタの甘い声に、男が背後からアナルを指で犯しながら、胸を強くわしづかみにする。

「いやらしいおっぱいになったな。前もでかかったが、オレの手からはみ出している」

 指で乳首をつまみ、手のひらで揉むと、溢れだした柔肉がいやらしく形を変えた。

「や…ぁあん」

「乳首もこんなにでかくてなって」

 乳首を強くつまむと母乳が勢いよく噴き出した。手のひらで絞るようにして揉みながら、指でつねるたびに勢いよく乳が飛び、男が欲情にかすれた声で笑う。

「ああ、ああぁ、だめぇ。そんなにおっぱい絞らないで」

 言いながら男は、腰をするジュリエッタの耳朶を噛む。

「は…すげえな…、おっぱい出るのが気持ちいいのか?それともアナルが感じるのかい?」

 ジュリエッタは壁にすがりながら、首を振る。

「りょう、ほう…」

「んん?」

「両方、気持ちい…、…気持ちイイのぉ…あ、イク…イクぅ…ッ」

「おっと、指でイかれちゃもったいねえ。どうせならオレのでいってもらおうか」

 そういうと、男は自分の物を引きずりだして押し当てた。

 ぐりゅっと中を貫かれ、ジュリエッタはその感覚だけで声もなく絶頂を迎えた。

 秘裂が開き、愛液が溢れる。びくんびくんと腰を跳ねるのを支えられた。

「あ、ああ…」

「入れただけでイッちまったか」

「ごめんなさい…ぁあ」

 腰から尻にかけての緩やかなラインを撫でられて、背中をそらす。肩で息をしていると、おもしろそうに男が、ジュリエッタのはちきれそうな腹を撫でた。

「まだ膣内ビクビク震えて…ガキが出ちまいそうだな。オレがまだだぜ、続けて大丈夫か?」

「…はい…、お願いします」

 ジュリエッタは、肩越しに振り返り、いつものように娼婦として客の望む言葉を口にした。

「どうか、私のナカで出してください」

 常套句でねだると、客は満足げにゆっくりと腰を振りだした。

 お尻を叩くようなパンパンという音が響き、ジュリエッタは犯されるままに身体を開いた。

 

 

「元気そうだな」

 テッドが言うのに、ジュリエッタは微笑む。

 1週間に1度程度、テッドは様子を見に顔を出す。さまざまな経緯もさることながら、ジュリエッタを気に入ったというのも理由の一つのようだった。

「でも、こんな格好になってまでお客をとらせてもらって…ありがとう、本当に感謝しているわ」

「大人気だっていうんだから、店としては問題ないが、お前はいいのか?」

「この恰好じゃ城にもいられないし、部屋に引きこもっていても、誰が来るかわからないから、こちらにいたほうがちょうどいいわ。それにここいればルシウスにすぐに会えるし」

 すでにジュリエッタが王女であることは、二重生活をしていることは、一部の人間には周知のことだった。

「呪いのせいかもしれない、でも、それでも私はルシウスが可愛いの。それにこの子も」

 お腹を撫でながら言うと、テッドは感心したようにため息をついた。

「オレにはよくわからねえがな」

「男の人にはわからないかもしれない。でもお腹の中で動く感じとか、そういうのがあると、愛おしく感じるの。私の中にもうひとつ命があるんだなって実感できるの」

 そう言いながらも、ジュリエッタもこの仕事をしなければ、娼婦たちと話さなければわからなかっただろう。子供が欲しくてもできなくなった女。自分で育てることができない女。そういうものを見て、自分勝手な中絶はもうできなくなった。

「ねえ、それより…今日はそんなこと話しに来たんじゃないでしょう?」

「おっと、そうだった」

 二人は酒場の二階の一室にいた。つまりテッドはジュリエッタの様子を見がてら買いに来たのだ。

「あんまり乱暴にしないでね」

「わかってるよ」

 そう言ってテッドは、ジュリエッタの尻を掴み、直接舐めまわした。潤滑剤はあるのだが、あえてテッドはアナルを舌で犯すことを好んだ。

「あ…ぁあ、やあ…ぁん」

 仰向けになるのが辛いので、テーブルに手をついて、尻を突き出すような格好で愛撫を受けていたジュリエッタが、か細く喘ぐ。

「イイ声で鳴くようになりやがって」

「ァン…や、だめ…そんなに足広げちゃ…」

「ほら、こっちこい」

 さんざんアナルを舐めまわし慣らすと、テッドはベッドに胡坐をかいてジュリエッタを促す。天を向いたペニスは相変わらず大きかったが、ジュリエッタは可憐な顔とは正反対に慣れた仕草でそこに腰を沈めた。

「ふう…ぁああん」

 ゆさっと大きな胸を揺らして、テッドに背後から貫かれる。

「アナルも慣れたもんだな、お姫様」

「そんな…もぉ…、いやぁ…あ、あ、あ」

 テッドに背後から貫かれ、客を相手にする時とは違う恥ずかしさもあり身をよじる。

 その時、

「痛…っ」鋭く声をあげる。

 腰を振ることに夢中になっていたテッドが、異変に気がついたのか背後から気遣わしげに声をかけてきた。

「おい、どうしたジュリエ…」

「…まれる」

「は?」

「…生まれる」

「ええ!?」

 

 

「ほら、早く先生こっち!」

「ちょっと待て…走り続けで息が…」

 ジュリエッタは陣痛に耐えていると、部屋の外から騒がしい声が響いてきた。

「だから普段から運動しとけっていってんのよ、おばさん!」

「いま何て言った小娘!?」

 ローリエ医師とミィが、もつれるように部屋に転がり込んでくる。

「ローリエ…早く、なんとかしてやってくれ」

 ジュリエッタの背後から、まだ入れたままのテッドが叫ぶ。その姿を見た瞬間、ローリエが目を眇めた。

「なんて有様だよ、これは…」

 呟いてから、気を取り直してジュリエッタの下肢を覗き込む。

「だから、こんなギリギリまで働くなんて…しかも、身体売るなんて正気の沙汰じゃないっていったんだよ」

「でも、早くお金を作りたかったから…」

 息も絶え絶えに言うと、ローリエがうっとうしそうに手を振る。

「そりゃなんのイヤミ?まったく、…ああ、もう産道が開いてるどころか、もう、頭見えてんじゃないの。こりゃ出てくるわ。移動する暇ない」

 背後でミィが覗き込んだ時に、ローリエが肩越しに短く指示を出す。

「ええ!?」

「もう、この状態で産むしかない。アンタはタオルとお湯沸かしといて」

「ちょっとそんな…、ああ、もう!」

 言いながらもミィは舌打ちしてから、ジュリエッタの背後のテッドを睨みつける。

「アンタがへたくそだから産気づいたのよ、バカアニキ」と怒鳴ってかけ去っていく。

「だ、誰がバカアニキだ!」

 怒鳴り返すが威厳もなにもあったもんじゃない。

 ミィは何を隠そうテッドの妹だ。いつもは界隈に睨みを利かせるテッドだが、比較的妹には甘いせいで、こんな風に肩なしになる時もある。

 それを尻目に、ローリエはてきぱきとジュリエッタに指示を出してくれた。

「私が言う通りに力んで。できるね?」

 言われて、笑って見せる。

「ルシウスの時より、ずっと楽だわ」

「その通り。アンタには優秀な医者がついてる、信じて」

 ローリエは言うと、背後のテッドにも声をかけた。

「アンタも邪魔するんじゃないよ」

「どーしろってんだよ!?」

 それから波のように痛みが来るたびにローリエが合図を出し、ジュリエッタは力む。

「テッド…あんまり中で動かないでぇ…あぁん」

「んなこといわれても…っ」

「ふあ…赤ちゃん、…だめぇ…痛いのに…お尻がぁ…気持ちい…の」

「ジュリエッタ。後ろはいいから出産に集中しろ!あんたは大人しくしてろって!」

「してるよ!でも、微動だにしないのも無理な話だろうが!」

「いや…っ!動いちゃだめ…ゃん、出る…出ちゃうっ!」

「ジュリエッタ!し、しっかりしろ」

「そう、…いま、力んで!…いいよ、そのまま」

「ダメ、赤ちゃん出るのに、生まれるのに…アタシ…アタシぃ…イクぅああああん!」

 テッドに背後から励まされ、ジュリエッタは子供を産みおとしながら、絶頂を迎える。

 中で射精したテッドも肩で息をしていた。

「まったく…なんだ、この状況は…?呆れてものもいえない。でも良く頑張った」

 ミィの持ってきた産湯で綺麗になった女の子。喉も避けよとばかりに泣いている。

「女の子だ」

 顔をみると、やはり人間ではなかった。

 それでも愛しい気持ちがあふれる。大事な我が子だ。

「ふむ…これは、おそらくゴブリン種だね」

「ってことは…」

 背後でがっくりと力尽きていたテッドが顔をあげる。

「オレの子…?」

「ま、状況から考えると。調べてみないとわからないけど…って、アンタ抜けたの?」

 ローリエが呆れた顔で言うと、テッドは照れたように笑い

「生まれた時の中の動きで、イッた。いや、ガキが生まれる時って、すげえ動くもんだな」と感心したように言うのに、「呆れた」と呟くのに、ジュリエッタが笑った。

 騒ぎを聞きつけて心配した店の者や娼婦たちも、扉を開けてミィが無事出産を終えたことを聞くと、歓声をあげた。

 

 

 生まれた女の子はソフィアと名付けられた。名付け親はテッドだ。ローリエが調べた結果、やはり父親はテッドだったのだ。

 テッドは愛娘を自分で面倒見たいと言い、ジュリエッタはそれに任せ王宮で静養する事にした。お金は十分に貯まったので、体調を整えたあと、ローリエに呪いの解除をしてもらう。

「城に戻ってくるのは久しぶり」

「しばらくはゆっくりお休みください。部屋には立ち入らぬよう、きつく言ってありますから」

 マールが労わるように、ベッドに横たわるジュリエッタの手を握った。

 姉のように心配してくれうるマールに、ジュリエッタは微笑み、それからふと表情を曇らせた。

「ねえ、マール」

「なんでしょう?」

「私ね、ロイに全部話そうと思うのよ」

 淡々とした口調に、マールは返って驚いたようだった。

「だって、このまま黙って結婚することは、できないと思うの」

 ロイとはしばらく顔を合わせていない。

 自分でもわかる。あまりにもジュリエッタは変わってしまった、その姿も考え方も。

 だから臨月に入ってからはもちろん、その前も顔を合わせるのが辛くて、逢わないようにしていた。城ですれ違うことさえ、細心の注意を払って避けていたのだ。

 一度だけ、部屋に訪ねてきた時も、気分が悪いからといって断った。

『もし、私が何か貴方の心に叶わぬことをしたのなら言ってください。このように何も言われず、ただ背中を向けられ続けることが何より辛い』

 せめてと扉越しに面会し、そう言われたのが最後だった。

 心にかなわぬと言うのなら、自分の方だと言いたかった。だがその時は何も言うことができなかった。

 娼婦に身を落とした自分を恥じてはいない。

 だが、すべてを肯定することもできない。

「ロイは今どこに?」

「マチウス殿下がアベヌの伽藍をご訪問中ですので、その護衛に」

「アベヌ?あの海辺にある」

「はい」

「なら、しばらく戻られないのね」

 その間に、気持ちの整理をしておこう。

 ジュリエッタは、目を閉じた。しばらくゆっくりと眠っていなかった

 

 

 マチウス殿下行方不明の報が入ってきたのは、ジュリエッタとマールが話していた翌日のことだった。

 伽藍から城に戻る途中の宿で、一行が惨殺されたと。

「…なんてこと」

 ジュリエッタは使いの者に知らせを聞いて、呟く。きつく唇を噛んだ。

「しかも、殺された者の死体の上には、こんなものが」

 渡された手紙には血の後が付いており、ジュリエッタは怒りに震える手で開封した。

『人質が惜しくば、アベヌの別邸にジュリエッタ姫一人でこられたし』

「…人質?」

「マチウス殿下をロイ近衛隊長の遺体が見つかっておりません。おそらく…」

 報告する侍従の言葉に、ジュリエッタは手紙を握り締めた。

 最愛の人と親愛なる弟を、人質になっている。喉もとからせりあがってくるのは純粋な怒りだった。

「マール」

 冷えた声がジュリエッタの喉から漏れた。

「馬の用意をさせておきなさい。お前は私の身支度の手伝いを」

「姫様…!?」

 久しぶりに白薔薇の騎士としての義憤が、ジュリエッタの身体を駆け巡っていた。

「いけません、まだお身体が」

「いいえ。大丈夫」

 きっぱりと低く答える。

「私なら、大丈夫」

 

 

 馬で丸一日かけ、ジュリエッタはアベヌまで一気に駆け抜けた。

 身体は辛いが、人質の安否を気遣う心が、ジュリエッタの身体を突き動かしていた。

 別邸より少し離れたところで馬を下り、別邸とその周囲を窺いながら近づいた。

 敵が何人かわからない以上、迂闊に動けない。

 海に面した裏手に回った。

 岸壁に面したバルコニーがあり、そこに繋がれている人をみて、ジュリエッタは我を失った。

「ロイ…!」

 思わず叫び、駆け寄る。

 憔悴しきった顔のロイは死人のように見えたが、近づくと息がある。

「よかった」

 呟くと、ロイがゆっくりと目を開けた。

「ジュリエッタ、姫…?」

「ロイ…」

 どこか呆然として見上げるロイの表情が、みるみる驚愕に歪む。

「危ない…!」

 叫ぶと同時に、ジュリエッタの身体は何かに巻き付かれ、攫われた。

 悲鳴をあげ、自分の両手を拘束しているものを見る。

 海からジュリエッタの身体を浚い、自由を奪っているものは巨大な蛸の足。

 ぞっとして見ると、そこには海原の合間に巨大な蛸の本体が見えた。

「く…っ」

 なんとか抜けだそうともがくが、ぬらぬらとした足は一向に振りほどける気配もない。

「無駄な抵抗ですよ」

 足元から声が聞こえて、地上を見下ろす。鎖で拘束されたロイの隣に、魔術師のローブを身に付けたマチウスが立っていた。

「マチウス…?」

「お久しぶりです、ジュリエッタ姉さま」

 にっこりとあまりにも場違いに微笑む天使のような少年に、ジュリエッタは背筋が寒くなる。

「貴方、まさか…」

 ジュリエッタの呟きには答えず、マチウスはあくまでにこやかに話しを進める。

「僕の招待に答えてくださってありがとうございます。でも本当に一人で来ちゃったんですね。隠れて兵隊くらい連れてくるかと思ったのに」

「貴方が、こんなことを…?!」

「いやだな。確認するまでもないでしょ?姉さまって本当に、正直なんですね。…バカがつくぐらい」

 すうっと口の端が上がる。

 その笑みに、もう無邪気さはない。

「それでは、始めましょうか。ギャラリーが少ないのがもったいないですが」

「何をする気?」

「決まっているじゃないですか」

 そう言って、マチウスは高らかに宣言した。

「国民を欺き、法に泥を塗った恥知らずの王女の弾劾裁判ですよ」

 意気揚々と叫ぶマチウスの言葉に、ジュリエッタは鼓動が大きくひとつなった。血の気が引く。

 どうしてという気持ちと、まさかという思いが入り乱れる。

「おやめ下さい、マチウス殿下!貴方はなにか勘違いをしておられる!」

「勘違いをしているのは貴方の方ですよ。ギュンター近衛隊長。では、ジュリエッタ・ユニウス。恥辱の王女よ。貴方の罪を白日のもとに晒そう。貴方は魔物と通じ、子をなし、あまつさえその子を養育するために、娼婦にまで身を落とした」

「やめろ、いわれのない中傷だ!」

 ジュリエッタよりロイの方が、叫んだ。だがマチウスは面白そうに二人を見比べるだけだ。

「そう言われるなら、動かぬ証拠を。…深きものどもの長、父なるダゴンよ」

 マチウスが詠唱を始めた途端に、触手はうねうねと動き出す。

「その女の着ているものを、すべて引き裂け」

 呟きに、ジュリエッタの服は無残に引き裂かれる。

「いや…!」

 悲鳴をあげるだけで、身体を隠すこともできない。さらに足をたかだかとあげ、秘所をさらすように広げられる。

「さあご覧あれ、清き騎士よ。あの罪深い汚れた身体を」

 芝居がかった言葉に、ジュリエッタはきつく眼を閉じた。

 罵りの言葉がぶつけられるのを覚悟しているのに、一向にロイの非難の声は聞こえない。

「なにやってんだよ…?」

 マチウスの呆れたような声に、ジュリエッタは恐る恐る目を開いた。

 そこには、きつく眼を閉じて顔を背けるロイの姿があった。

「生憎と、女性を縛り上げ衣服をはぎとり、眺めるような精神を持ち合わせてはいない」

 吐き捨てるように言うと、マチウスが目を細める。

「…ふーん」

 つまらなそうに呟く。

「ほんっとに、てめえはムカツクな、この偽善者…!」

 ユリウスは腰から外した物を手にし、振り上げた。

鋭い音をたて、ロイの身体に鞭が走る。

「ロイ!」

「バカじゃねえの!かっこつけてんじゃねえよ!いいから、その目ん玉開いて、あの雌豚のくされマンコ見てみろって言ってんだよ!」

 言いながら何度も鞭を振りおろす。だがロイは弄られるままに、決して目を開けようとはしなかった。

「ロイ…!やめてマチウス、ロイが死んじゃう…!」

「うるせえってんだよ、このくされアマ。…っとに、しらけるわ、この馬鹿ども」

 狂ったように鞭を振りおろしていたマチウスが、肩で息をしながら髪をかきあげる。

「…あーあ、ギュンター近衛隊長が強情だから、僕疲れちゃった」

 ため息のようにそう呟いて、マチウスは手で印を結ぶと、海水が渦を巻いて高くあがり、そしてロイに降り注いだ。

「ぐ、…っあ…!」

 悲鳴一つあげなかったロイが初めて呻いた。

「ロイ!」

 ジュリエッタは何もできない自分に、悔しくて涙が止まらない。

 今さら、気がついた。

 自分に呪いをかけた犯人が。確証はないが、ボードレイ侯爵に情報を与え、ジュリエッタを罠にはめたのが誰であったのか。

 でももう遅い。

「ロイ、もういいから!眼を開けて、私を見て」

「それは、できない」

「お願い…っ、本当に、これは私の願いでもあるから」

 嗚咽に声を歪めながらジュリエッタは懇願した。

 もともと告白しようと思っていたことだ。

 こんな形であることは残念だがしょうがない。

 ジュリエッタは唇をきつく結んで覚悟を決めた。

「ロイ、私を見て」

 改めて祈るように、小さく呟くと、ロイがうつむいていた顔をあげたのがわかった。

「そうそう、よ…っく見てね」

 マチウスがロイの髪を掴み、無理やり顔をジュリエッタの方に向かせた。

「ほーら、あれがアンタの大事なジュリエッタだ。黒ずんで、いやらしく肉襞が飛び出して、あれが処女のものか!?」

 あざけるように言うマチウスの言葉に、ロイは顔を歪め必死に手を振りほどこうとする。

「ホント笑えるよ。あれが穢れない処女で、触れるのも気づかう聖女だと思っていたのだから。おめでたい通り越していっそ憐れだね」

「うるさい…!」

「ねえ、いっそアンタの目をもっとはっきり覚まさせてあげるよ。…ダゴンよ、その女を捧げるぞ」

 無慈悲なユリウスの言葉に、ジュリエッタを押さえていた触手の他に、数本の蛸の足がジュリエッタに襲いかかった。

「や…?!」

 押し開かれた足に押し当てられる醜悪なもの。

 それがダゴンの生殖器だと知って、ジュリエッタは総毛立った。

「いやあああああ!」

 悲鳴をあげるが、抵抗することもできない。

 人の何倍もあるそれは、ジュリエッタの中へズブズブと入って行き、子宮の中にまで進入する。

「…いや、やめて、…ひ…ぅああ!」

 娼婦をしていた時でも、奥深く子宮の中までなど犯されたことはない。

 神聖な場所を踏み荒らされている、それも愛する人の目の前で。

 こんな姿まで見られて、ロイはさぞ呆れているだろう。

「…、ん、ア、あん、や…っ」

 恥辱に涙を流すが、ダゴンから与えられる強制的な悦楽に身体は反応してしまう。

 腰が跳ね金の髪を振りみだし、喘いでしまう。

 中で滲む体液がまるで催淫剤のように身体を疼かせ、よがり狂ってしまう。

 海からの不気味な呻きは、ダゴンの鳴き声だろうか。

「ひい…あああああ!」

 膣内におぞましい衝撃を覚えて、ジュリエッタは達した。

 ダゴンが欲望を吐き出したのは、明らかだった。

 涎を垂らし、身体を震わせるジュリエッタに、マチウスは優越に満ちた声をあげた。

「おぞましい快楽に身をゆだねた女よ。最早貴様は王族にふさわしくない」

 確かに自分はこの国を担う王女としてはふさわしくない。第一王妃の子とはいえ、女であるし、マチウスが嫡男であってもおかしくないと思っていた。

 ここに来るまでは、父王がいくら自分を王位にと望んでいたとしても、マチウスが王位を継いだ方がいいのではとすら思っていた。

「この男と一緒にダゴンの贄となって海に沈むがいい」

 ジュリエッタ自身のことはいい。しょうがない、でもロイは関係ない。

「…マチウス…ロイは、関係ないでしょう?」

 かすれる声で精一杯懇願する。だが、マチウスは逆に嗜虐の笑みを浮かべて答えた。

「いいえ。魔物と通じた女を心酔する近衛隊長など、僕の治める国にふさわしくありません」

 にこやかに答える。

 ダゴンの触手がロイに迫る。そのまま二人を海に引きずり込む気だ。

 絶望にジュリエッタが頭を垂れる。

「…神よ」

 無意識に唇から言葉が溢れた。

「我らユニウスの民を守りし、大地の女神よ。いま、貴方の子らが闇の者に蹂躙されようとしています。なぜ、お見捨てになるのですか…」

 感情のこもらない祈りの言葉の後、また一筋頬に涙が伝った。

 神様。

 大地の女神さま。

 もうこの際、誰でもいい。

「…っ…お願い、誰か、ロイを助けて…!」

 心の中で繰り返す、その時、不意に自分の胸元が光を帯びた。

「え?」

 驚愕を覚えている暇はなかった。

 意識が遠のく。

 …人の子にして、我が血族よ。我にゆだねよ。

 脳裡に響く声と優しい手の感触。

 ホワイトアウトする意識の中で、ジュリエッタは美しい人の横顔を見た。

 

 

 すべてが夢の中のような出来事だった。

 遠く俯瞰する自分の視線の先に、光を帯びた自分がいた。

 彼女はダゴンから自由になると、ふわりと空に浮かびバルコニーに降り立った。

「な…!?」

 声を失うマチウスに手を差し伸べる。

 そのまま口づけると、その華奢な身体を押し倒した。

『かわいそうな子』

「や、やめろ触るな!」

 悲鳴をあげる少年を無視し、そのまま犯した。

 犯されたマチウスはやがて生気を吸われたように動かなくなった。

 そして、半ば呆然とし光輝くジュリエッタを見上げていたロイに、手をかざすと触れることなく鎖の戒めを時、怪我を癒した。

「大地母神…?」

 ロイの呟きに、ジュリエッタは微笑みそのまま倒れた。

 俯瞰して見ていたジュリエッタもそのまま身体に吸い込まれ、やがて完全に意識を失った。

 

 

 これは後から聞いた話なのだが、マール率いる国王の兵隊が三人を救出したのは、この数時間後だったという。

 ロイとジュリエッタは疲弊していたが無傷、ジュリエッタは意識を失ったままで、マチウスは何を話しかけても答えない廃人のようになっていた。

 表向きには賊がマチウスを浚い、救出には成功したがマチウスはそのショックで、障害が残ったと言うことになった。

 かの天使のごとき少年の反乱は、なかったことにされたのだ。

 同情すべき点はないと言えるのかもしれない。何も見ず何も聞かず、ただベッドに横たわるマチウスを見ると憐れに思えた。それだけが理由ではないだろうが、王がジュリエッタの母を愛するあまり、男子でありながら継承者として無視し続けられたことは、彼の心に闇を産んだのかもしれないと、今さらながら思うのだ。ここでもまたジュリエッタは自分の心の傲慢を思い知った。

 だからといって、もう彼にしてやれることは何もないのだけれど。

 

 

 そして、また三か月の時が過ぎる。

 およその予測通り、マチウスにけしかけられたダゴンの子供は、ジュリエッタの腹の中に宿っていた。

 ジュリエッタは出産のことも考慮した末に、狂言誘拐に使われた海辺の別荘に移っていた。だが、肝心の子供が一向に産まれてくる気配はない。

 腹は満月のように膨れ上がっていると言うのに、産気づく様子すらない。

「どういうことなのかしら?」

出産に立ち会う為に同行していたローリエは難しい顔で首をひねった。

「今回は純粋な魔族、いや、魔神が相手なだけに、私も確かなことはいえないのだけれど…、中で死んでいるってこともなさそうだし」

 もしそうなら強制的に腹の中の子を出さなければ、母体の命にかかわる。だが、お腹の子は順調だという。

「っていうかさ、呪いの効力ってのがよくわからなくて。マチウス殿下の持っていた魔道書借りちゃいるけど…どうにも難解で。あの坊ちゃん、よく一人であんなもん読み説いたもんだよ」

「感心なさるのも結構ですが、結局どうしたらいいんでしょう?」

 マチウスの名に、一瞬表情を曇らせてしまった。そのジュリエッタをかばうように、付き添っていたマールが口を開く。

「とりあえずこのまま様子を見るほかないね。ただ気になることが、もう一つ」

 溜息のように言うのに、ジュリエッタが顔をあげる。

「どうも、心音が二つ聞こえる気がする」

 

 

 それからさらに四カ月、五か月と過ぎ、とうとう普通の妊婦の産み月まで来てしまった。もはやジュリエッタは一人で動くことも、困難になっていた。

「大丈夫ですか、姫」

 マールが以前にも増して世話を焼き、ジュリエッタが苦笑いを浮かべるほどだ。

「下の方に降りてきてるし、子宮口も開いてきている。さすがにそろそろ生まれるね」

 ジュリエッタの定期診察をすませると、ローリエが呟いた。

「それに双子が生まれてくることには間違いないし、もういつ産気づいてもおかしくない」

 もうすぐ生まれると聞いて、黙り込んだ。

「どうなさいました、姫様。御気分がすぐれませんか?」

「いえ、違うのよ。マール、ねえ、お願いがあるのだけれど」

 ジュリエッタが告げた言葉に、マールもローリエも目を丸くして、それから顔を見合わせた。そしてジュリエッタの気持ちを慮って顔には出さなかったが、複雑な感情で改めてジュリエッタを見た。

 

 

 ジュリエッタが産気づいて、すでに半日以上が経とうとしていた。

「もうちょっと頑張って!寝ちゃだめよ!」

「…っこんな…痛みで眠れるわけないわ…!」

 苦しさに気も遠くなりながらも、必死にローリエの励ましに答えるジュリエッタの耳にそれは飛び込んできた。

 ドアの開く音と「ジュリエッタ様、お連れしました!」と、マールの息せききった声。

「ちょっとお!あんたたち、まさか外から直接きたんじゃないでしょうね!?」

「まさか!」

「身体を洗って、衣服も清潔なものに取り換えてきた!」

 咎めるようなローリエの怒鳴り声に、気圧されることなく怒鳴り返すマールと、それに懐かしい声。

 きつく閉じていた目を開くと、もっとも信頼する侍女と最愛の人の姿が映った。

「…ロイ、来てくれたのね」

 独り言のように呟く。

「元気出た?さあ、もうひとふんばりして!…はい、いきんで!」

「…っ…!」

 ジュリエッタが痛みに顔を歪める。

「頭出てきているよ。もっといきんで!」

「ん、あああああああ!」

「姫様、お気を…お気を確かに!」

 マールの悲痛な叫びが聞こえる。

 彼女は出産に立ち会うのは初めてなのだ、ジュリエッタがこんなに苦しむとは思っていなかったのかもしれない。

 ロイも苦しむジュリエッタをどこか呆然としたような顔で見ている。

 だが、それ以上周囲の様子をみているわけにはいかなかった。激痛が走り、ジュリエッタはきつく眼を閉じた。

 ごぶりとジュリエッタの下肢から一人目が産み落とされる。

 一呼吸の間をおいて、元気に泣き叫ぶ赤ん坊の声。

「ちょっと、アンタ。この子綺麗にしてあげて」

「え、綺麗にって…」

「産湯だよ。決まってんだろ!」

「は、はい!」

「抱き方、気をつけてよ」

「はい…っ」

 取り上げた子供を渡されて、マールは血まみれのその偉業の姿にぎょっとしたようだった。ジュリエッタにはちらりとしか見えなかったが、下半身が蛸だったような気がする。

 ジュリエッタにはやはりという気持ちしかないが、マールはショックだっただろう。それでも気丈にも産湯をつかわせていたようだった。

「まだよ!ほら、あと一人、頑張って!」

 ローリエのその声に、ジュリエッタは現実に引き戻される。

「ジュリエッタ姫…っ」

「…姫様…」

 マールの声と同時に、ロイの声も遠く聞こえた。

 こんな状況に無理やり連れてこられたと言うのに、涙で滲んだ視界に移ったロイの顔には気遣わしげな表情が浮かんでいた。

 ローリエやマールと違って、間近には来ないが逃げないで立ち会ってくれている。

 それが何より心の支えになった。

 嬉しい、でもこれできっと、ロイには愛想を尽かされるだろう。

 異形の者を産むところを見せれば、どんな優しく強い心を持っていても、もはや自分の妻にとは望むまい。

 だが、それでいい。

 その為に呼んだのだから。

 悲しかったが、晴れやかでもあった。

 あとはこの苦しみの末に、もう一人の子供を無事に産み落とすだけで良い。

 励ましの声が降ってくる中、ジュリエッタは腹を刺すような何十回か何百回か、最早数え切れぬ痛みの波の再来に、顔を歪める。

 下肢から、二人目の子を産み落とした感覚に、全身の力が抜ける。

 元気な産声を聞きながら、ジュリエッタは心の底からほっとしていた。だが、

「よし、二人目…って、……え?」

 ローリエが取りあげた声を聞いて、視線をあげた。

 一人目の子に産湯を使わせ、うぶ着でくるんでいたマールもその声に、こちらを向き、息を飲んだ。

ロイも声を失っている。

「な、に…?」

 ジュリエッタは力を失い、意識が途切れかけていたがなんとか声を絞り出すと、ローリエが生まれてまだ血にまみれた赤ん坊を、ジュリエッタに見せた。

「この子…!」

 泣き叫ぶ子供は、まったく普通の人間だった。

 まだ産湯を使わせていなかったが、髪は確かに光を受け金色に輝いている。

「まさか、マチウス殿下の…?」

呆然とするように呟くマールの声に、全員が息を飲んだ。

間違いない。

 二人目は腹違いの弟、マチウスの子供だった。

 

 それから数日、ジュリエッタは出産の疲労の為か、こんこんと眠り続けた。

 そして再び目を覚ましたのは、二日後の夕方だった。

 三度目の出産で生まれた子は、厳密には双子ではなかった。ひとりは下半身が蛸の足をしており、確かにダゴンとの子供であったが、もう一人はやはりどうみても人間の、稀に見るほど美しい赤ん坊だった。

「まったく、こんなことはあり得ないんだけどねえ…片方が魔神だったからかもしれないけど」

 ローリエが頭を抱えるが、ジュリエッタは二人の赤ん坊を抱いて、満足そうに微笑んだ。

「こんなことを言うのは不謹慎かもしれないけど、私は嬉しいわ。特に、マチウスの子供を産むことができたのは」

 知らずにとはいえ心を踏みにじっていた弟の子供を産み、大事に育てる。それは贖罪にもならないことかもしれない。

でも何もしてやれないと思っていた時より、ずっといい。

 すでにルシウスはよちよち歩きローリエの足元に絡みついている。ソフィアは首が据わったばかりだが、活発で手足をバタバタとされて、マールに大人しく抱っこされていない。

 そして、ジュリエッタの腕には産んだばかりの二人の子供。

 ベッドサイドに立つロイはただ黙って、ジュリエッタの言葉を聞いていた。

 ジュリエッタが顔を上げる。

 ここにきて初めて、まっすぐにロイの顔を見た。

「ロイ、忙しいのに来てくれて、ありがとう。あとは、ごめんなさい」

「…どうして、私をここに呼ばれたのですか?」

 ロイの静かな言葉に胸が苦しくなったが、それでも黙り込むわけにはいかなかった。

「ちゃんと見てもらって、それで言いたかったの。これが私の産んだ子たち。自分が愚かだったとは思うけど、間違っていたとは思わない。それに、この子たちを産んだことに後悔はないの。…でも、私は貴方にふさわしい女性ではなくなった」

 ロイは何も言わず、ただジュリエッタと子供たちを見つめていた。

 罵ってくれればいいと思う。

 だが、この高潔な騎士は、どんなに心の中で醜悪だと思っても、決して口にはしないだろう。

「王位についても、父に正直にこの子たちのことを話して、他の者に譲る方がいいと考えています」

 一呼吸ついて、ジュリエッタはきっぱりと言い切った。

「貴方は、貴方にふさわしい女生と結婚してください」

 沈黙が重く、ジュリエッタは、視線を落とした。

 早く、ロイが部屋を出て言ってくれればいいのにと思う。

 でもロイは一向に立ち去る気配はない。

「私の…」

「え?」

「私の話も聞いていただけますか?」

 ロイの声に、ジュリエッタが驚いて顔を上げる。マールとローリエも意外だったのか、だがロイの顔を確認すると子どもたちを連れて部屋から出て行った。

「…ロイ?」

「まずは、謝罪をさせてください。騎士としての誓いを守れなかった」

 予想外の言葉に、ジュリエッタは目を丸くした。

「何も知らず、貴方に辛い思いをさせた私の罪は重い。ですが許されると言うのなら、どうかもう一度、私を貴方の求婚者として認めていただきたい」

 何の冗談かと思った。

 ジュリエッタは思わず、ロイをまじまじと見てしまった。ロイの表情は真剣そのものだ。

「ロイ、あの…」

「貴方を愛しています。私は貴方を妻に迎えたい」

 きっぱりと言い切られて、ジュリエッタは言葉を失った。

「ただ貴方の心に見合わぬと思われるなら、せめてお傍でお仕えさせてください」

「でも、それは…」

「貴方が頼りにならぬ、もう顔も見たくないというなら、仕方がありませんが」

「そんなことないわ!」

 思わずジュリエッタが声をあげると、ロイが柔らかく微笑んだ。

「それでは、もう一度私を信じてくださいますね」

「はい」

 ジュリエッタはロイの微笑みに、何も言えなくなる。

 華奢な身体をロイは抱きしめた。

 回された腕の強さに、幸せでめまいがする。

「私と結婚してください」

「…はい…っ」

 やっとそう答えると、何かを思いついたのかロイは一瞬、真剣な表情になる。

「では早急に式をあげましょう。貴方の体力が回復次第」

 不思議に思って、ロイを見上げると、咳払いをして彼らしくない歯切れの悪い口調で囁いた。

「他の男の子供ばかりではなく、私の子供も早く産んでほしい…ので」

 苦虫をかみつぶしたようなロイに、ジュリエッタは心から微笑んで頷いた。

担当作家 あまねゆり

★ノベル【40,000文字】【ランク艶】

※こちらは前篇(20,000文字辺りまで)となります。

 

※次のページへと進めて行きますとたまに一気にページが進む演出になる

 事がございますが、こちらは数ページ先に進んだと言う事ではありませんので、

 ご注意下さい。

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